今日も私獣医学生は、ハムのように生きる。

獣医学生奮闘記 南の方からやって来て今年で3年目。心くらいはあったかくして過ごしたい。

「がんばる」ことに、にげるな。

先週の土日で部活の遠征で東京に行ってきました。

12時頃に寝て朝4時5時起きの日が続いたことと、東京と北海道の気温差からか、こっちに戻った月曜日、インフルエンザにかかってしまいました。

水曜日、金曜日とテストがある中のインフルエンザは私にとって大ダメージでした。

幸い、公欠は取れましたが、勉強も何もできず、また、これからまだまだテストが重なってくることを考えるとベットの中は絶望に満ちていました。

きっと、鬱のせいで精神が弱っていたこともあったからだとも思います。

Twitterを見るとみんな明日の試験に向けて頑張っている……

 

やばい…

もうだめだ……

 

つい、こんな風に考えてしまうのです。

獣医の勉強は好きなのに、それも全然できてなくて、試験が近いのにという焦り…

 

こんな時も、ある本の言葉が私を救ってくれました。

 

 

「がんばらない」って、とてつもない勇気がいること。

「自分は大丈夫」って、信じる勇気をもつことだから。

「がんばる」ことに、逃げるな。

 

 

鬱になる前までは、「頑張ること」にこそ価値があると思っていました。というか、例えば何かで一位になるにはそれ相応の努力が必要で、逆に、努力しなければ一位になる資格がないというか、そういった感覚が潜在的にあったように思います。

 

例えば、頑張って練習したけど最下位だった人がいたとき、もし私がほとんど努力せずに一位を取ったら、私にとってとの一位はあまりうれしくないというか、意味のないように感じてしまうところがありました。

 

「誰よりも努力した先に一位という栄光がある」そういった、一位という栄光を喜ぶための凝り固まった条件付けを知らぬ間にしていたんです。

 

逆のことを言えば、ある程度結果が伴わなくても「努力」したのならその分自分を慰められる。

「がんばる」ことは私にとって、結果がどっちに転がろうと、「自分を認める」ことにつながっていたんですね。

もちろん、頑張る過程は大事です。自分がやりたいことに向かって努力することも大事です。

でも、だからと言って、「頑張らない自分」がうまくいって、悪いわけがないんです。

別に、頑張らなくてもうまく行っちゃうときがあるんです。

それが連続で続いちゃってもいいんです。

自分だけラッキー、でも全く問題ないんです。

だって、幸せになるのに、条件なんてないんだから。

努力した人こそ報われる、でも努力しない人だって報われる。

だって、努力って人それぞれ値も基準も違うでしょう。もともとの能力だってちがうでしょう。だったら、やりたいときに、やりたいことだけやればいいじゃない。

やれないときに、やりたくないことを無理して「がんばる」な。

 

「がんばることに、にげるな。」

 

私の今までの「全力主義」を覆す言葉でした。

全力でやっていい。

でも、全力でやらなくてもいい。

 

周りの人がどんなに頑張っていようが、焦る必要なんて全くなし。

まずは健康体にちゃんと戻る。それが今の私にとっての幸せだから。

 

私の体を一番に考えよう。

 

今日も私はハムのように生きてゆきます。では。